バロン ― ジンメの御魂流し

序章:赤き旅立ち、青き出会い

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ミズキは、粗暴な口調に隠れて、実直で愛情深い男である。少年の頃、彼はジンメの人々に愛されて育った。しかし、里の噂はいつもその裏側にまとわりつく――「あの子の力は、いずれ災いを呼ぶ」。それは、彼が老師クレハから受け継いだ「御魂流し」の技が、他の者と違い、どこまでも攻撃的に発現してしまうことに由来していた。

クレハは小柄な老婆で、伝統や礼節を歯牙にもかけない毒舌家。ミズキの口の悪さも、この師から染みついたものだった。そんなクレハが特に目をかけていたのが、一番弟子トウマ。彼は誰もが舌を巻くほどの才能を持ち、言われたことを当然のようにこなすどころか、常に期待の倍を成し遂げてみせる。そして、その上で決して驕らず、誇示することもない。人々の信頼はトウマに集まり、次代を受け継ぐのは彼だろうと噂されていた。老師クレハも、時折照れ隠しに罵倒しながらもその腕前を認めていた。ミズキも当然トウマこそが次代の長に相応しいと思い、友の力はもちろん、その善良な心が誇らしかった。二人は共に稽古に汗を流し、夕闇に沈む里で、未来を語り合った。

だが、その平穏は一夜にして終わりを告げる。

嵐の晩、里の空を稲妻が引き裂き、遠雷にかき消されそうなほど濃密な静けさが訪れた。その時、赤い霧がいつの間にか結界の隙間から滲み込み、冷えた空気とともに里を包み始めた。

最初に悲鳴を上げたのは、櫓に立った少年だった。人に似た形を残すも、禍々しい赤い霧を纏い、異形の手足を持つ魔物。それが結界を破った。里人たちは総出で武器を取り、恐怖と覚悟の叫びが闇夜に響いた。老人も女も子も、各々ができる限りで結界を補修し、火を焚き、槍を投げ、剣を振るった。当然ミズキも、里人と共に命がけの抵抗を繰り広げた。師も友も各方面へ散り、次々迫る魔物に抗った。火花と血が霧に溶け、剣戟と絶叫が吹き荒れる。

そして日が昇る頃、ついに魔物を退けることに成功する。倒れた者も多く、安堵と喪失の入り混じった沈黙が里を覆った。御魂流しとしてそれらを弔い、死者の言葉に耳を傾けた。

一人また一人弔っていると、大きく騒ぐ霊魂が現れる。曰く、老師クレハが己の庵で冷たくなっているのを見つけたと。静かに、眠るように。だがあまりにも無惨に。いつも邪魔そうにぶら下げていた闇御津羽剣は、抜き身で師の傍らに添っていた。そしてその身体には、御魂流しの極めて高度な、里の誰にも──唯一人を除いて真似できぬ痕跡が深く刻まれていた。

血と霧の臭いが充満する中、トウマの姿を探し、その名が幾度も呼ばれるが、答える声はなかった。里人たちは動揺しながら口々に言った。トウマが結界の外、赤い霧の中に逃げたのなら、もう追う必要はない、と。

十も前の代より、里の外を――国土の多くを覆っている赤い霧。あれに長く触れた者は、多くが二度と帰らない。それでも、ミズキはただ黙って老師クレハの亡骸の傍らに膝をついた。しわくちゃな手が伸びた先、波打つ刀身の闇御津羽剣くらみつはのつるぎ 。その剣には、かつてクレハが何より大切にした矜持と想いがこもっていた。ミズキは剣を拾い上げ、重みに腕を震わせながらも、ゆっくりと立ち上がる。その瞳に宿る光は、痛みも迷いも超えた決意だった。

「アイツが道間違ったンならよォ、オレが止めなきゃ……償わせなきゃならんだろォが」

里人たちの制止も振り切り、ミズキは里を後にした。その名を捨て、かつてトウマが彼と似ていると言った物語の神、「バロン」を名乗ることにした。これは真名を知られることの魔術的危険を避ける、御魂流しの流儀でもあった。旅路は険しく、己の未熟さに幾度も打ちのめされた。闇御津羽剣も、まだ思うように力を引き出せない。血を捧げて剣を振るうたび、自分の弱さを噛み締めた。

道中、バロンは強敵に敗れ、地に膝をつく。痛みと未練が渦巻く中で、命の灯が消えかけたその瞬間――空を裂くような羽音とともに、謎めいた魔物が現れた。大きな黒い翼、澄んだ青の瞳。人の言葉を持つその魔物が、敵を一蹴に伏した。その夜、魔物と野営を共にし、バロンは目的を語った。旅銀稼ぎと人探し、それを両立できる冒険者になるべく旅をしていると。大きな翼を霧避けにバロンを覆いながら、魔物が口を開く。

「それに、私も連れて行ってくれないか」

ミオニーと名乗った魔物の、青白く光る羽を撫でた。こうして、不思議な二人組の旅が始まった。

日々、バロンは剣技と術を磨き続けた。トウマへの疑念、それを信じたくない気持ち。さまざまな感情が胸の中で渦を巻く。「待ってろよ、ぜってェ問いただしてやっからなァ。その日まで……死ぬンじゃねェぞ」

己の弱さも、迷いも、すべてを背負って。まだ定まらぬ足先を、震わせながらも少しずつ進めている。